2010/09/30

ヴェトナムの続き (3)

フエの市場

その国の生活が見られるので 市場に行くのが好きです。
上はフエのごく普通の市場の中であったもので 
おはぐろの材料だそうです。
結納の時には 100歳まで仲良くと100組を新婦の家に届けるのだとか。
この市場にはお葬式用の 紙の帽子、靴、札束、スーツケースなどもありました。
ヒモパンのような超立体マスクもこの市場にありました。


ホーチミンの市場

こちらはホーチミンの巨大な市場です。
衣料品、雑貨、食料品等々、狭い通路にぎっしりと。
ソウルの東大門市場ととてもよく似ています。
「オネエサン、ヤスイヨ」
でも 日本人には相当吹っかけています。
娘は言い値の1/3から交渉を始めて、 
途中帰ろうと立とうとすると腕をつかまれて 「オネエサン、ガンバッテ」
最終的には半額くらいで妥結。
でも 街中の店ではその金額とあまり変らない値段で売っていました。

ホーチミンでは 日本語で表記されている店も多く、
日本人観光客の多いことがわかります。
ガイドブックには路地奥の小さな店まで紹介されていて、
あまりに親切すぎて・・・・面白みがありません。
旅は小さな冒険とちょっとした発見が楽しいのだと思うのですが
私がへそ曲がりだからでしょうか。

気に入った図案のテーブルクロスが欲しいと思い、
何軒かの刺繍店を廻りましたが、何処も観光客向けの小物が多くて 結局 諦めました。
10年以上前に姪が見せてくれたような良質の物はあまり見つけられなかったのが
とても とてもザンネンです。
 
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2010/09/17

ヴェトナムの続き (2)

刺繍1

刺繍工房の糸です。
絹糸でサテンステッチで埋めています。
スタンドはキルトのスタンドととても良く似ていますね。
刺し方も UP & DOWN で針の運びはとても速いです。
シンブルは使っていませんでした。
お針子さんの台の上には 何色もの糸を束ねてあり、
微妙な色の違いを見極めて選ぶ目に感心しました。

車椅子の方も何人かいらして ドネーション・ボックスもありました。
殆どの方が スタンドに張った布の上に携帯が。
奥にあるのが作品ですが 殆どが風景、花、ベトナム女性で
時たま モノトーンの女性とか、デフォルメしたデザインが見られます。

刺繍2

一番下は アオザイを縫っているところです。
アオザイの女性を見るのは 空港やベトナム航空の職員、学校の制服、観光関係だけでした。

ヴェトナムは刺繍が有名で フランスの植民地だった名残と思っていましたが
フランス刺繍のような色々なステッチは使っていません。
綿や麻布に刺繍した製品は 木綿の刺繍糸で
日本のくけ台のようなスタンドに丸い刺繍枠を挟んで固定し刺すようです。
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2010/09/14

ヴェトナムの続き (1)

マスク

コレは何でしょうか?

噂には聞いていましたが ハノイの町に入って一番に気が付くのは バイク、車の洪水。
そしてクラクションの合唱。
でも、それに驚いていてはいけません。

南のホーチミンに入ると、バイクも車も桁違いに増え、
ロータリーの交差点が多いからでしょうか、早い者勝ちで交差点に入ってきます。
クラクションは警告というより 自分の存在を周りに知らしめるため。
信号機のある交差点では 赤信号ではちゃんと止まっていますが
いつ塗ったのか判らないような かすれた横断歩道に立っても 誰も停まってはくれません。
歩行者優先なんて言葉はこの国にはないようだし、
「お母さん! 急に止ったり走ったりしちゃだめ!
 向こうがこちらの動きを想定して避けて来るんだから」
・・・と言うわけで、道を渡るときには 娘を盾にして。
東京駅の地下道のように車、バイクが流れ、交差点は「仁義なき戦い」?

バイク

ドイモイ政策で豊かな生活になったのでしょうか、
バイクは100%、車は200%の輸入関税が掛かるというのに
バイクも車も比較的新しいものが走っています。

バイクに二人乗りは当たり前、時には一家四人が一台のバイクに乗っています。
四人までは違反切符は切られないそうですが
お父さんが運転し、その足元に子供が立ち、後ろには赤ちゃんを抱いたお母さん。
こうして育てば 交差点でも恐れずに飛び込んで行かれるでしょうね。
オ~~~コワ。

本田は組立工場があるそうですし、トヨタもディーラーをあちこちで見かけました。
バイクもホンダ、ヤマハ、スズキは憧れの機種ですが
この頃では 韓国、中国の製品も価格が安いので売れているそうです。
交通事故の死亡者は とっくにベトナム戦争の死者を超えているとか。。。。

ア、そうそう、上の画像は何だか判りましたか?
これは排ガス、埃よけの超立体マスクなんですよ。
どれもプリント布で ヘルメットと色を合わせたり、どちらにもクマのシールがあったり。
一枚買って帰るつもりでしたが 忘れてしまいました。
フルフェースのヘルメットや ナナハンのような大型バイクはほとんど見ませんでした。
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2010/09/05

フエからホイアンへ

フエ 1

フエは南北に細長いヴェトナムの中央部分に位置し、
1802年から1945年まで王宮がありました。
と言っても そのうちの100年近くはフランスの傀儡だったようですが。
兵馬傭のような像がある ベルサイユ宮殿をまねた宮殿。(私にはそうは見えなかったけど)
ベトナム戦争時、北と南の境界で非武装地帯でしたが それだけに激戦地でもありました。
フエの街は空襲で 廃墟のようになったそうです。

近くにあるミーソン遺跡は アンコールワットと同じ時代の遺跡ですが
ジャングルの中に50あまりあった遺跡も ベトコンを撲滅するための爆撃で半減。
遺跡の2mと離れていないところに 爆撃で出来た穴があったり
爆風で傾き、倒れ掛かった遺跡もあったり。
ジャングルも枯葉剤で風景が変ったそうです。

フエから3日間案内をしてくれたガイドさんは 戦争終結の年に生まれたそうです。
「日本はアメリカに負けましたけど、ヴェトナムは勝ちました。」
「ふ~む・・・・。」  (ナント答えたらよいのやら?)
遺跡の点在するジャングルを歩きながら べ平連やマクナマラ訪日反対デモの話などをすると
「ヴェトナムのためにありがとう」 (コレにも複雑な心境)

フエ


フエから車で南下すると峠にはアメリカのトーチカが今でも。
といっても、サンディエゴには日本軍の攻撃に備えたトーチカも残っていましたけど。
峠を越えたダナンは自然の良港で アメリカ海軍基地もありました。
いまでは 第3の都市で 大きな工業団地が。
日本の企業も40社以上が進出し、真珠や海老の養殖、絹の集積の中心地とか。

峠越えをしないですむ数キロのトンネル、大きな橋、ミーソン遺跡の資料館などは
日本のODAで大手ゼネコンの ○林組や熊×組、門組などが施工したそうです。
「皆さんの税金で作っていただきました」と。
でも、カモにして儲けているようで 少々複雑な思いでもありました。
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2010/09/02

ハロン湾クルーズ

クルーズ1

今年の夏は娘2の案内で イタリアに行く予定でした。
それが、、、、
肝心の娘の仕事が忙しくなるので 夏休みは1週間、それも8月中!と上司から。
1週間でイタリアではねぇ~~~

娘1 「それなら アジアにしない? ベトナムに行きたい!」
娘2 「それなら ハロン湾のクルーズ船に泊まりたい!」
母  「それなら 山岳民族の村に行きた~~~~い!」

っと言うことで 急遽目的地変更!
但し、、、、
山岳民族の村に行くには3日は取らないと行かれないということで 即却下! (泣


ハノイ、フエ、ハイフォン、ダナン、サイゴン(今のホーチミン)・・・・・・
学生時代 こんな地名が毎日のように新聞の1面に大きな活字で躍っていました。
級友と反対集会に参加したり、羽田事件で友人が怪我をしたり、、、
家の近くには米軍の病院があったので 艦船から傷病兵が運ばれるヘリの音。
ヴェトナムというと そんな記憶が生々しく甦ってきます。

サイゴンのアメリカ大使館から最後のへりが飛び立ったというニュースには 
「これからどうなるのかしら?」と不安に思い、
まさか、 何十年後に観光客として訪れることがあるとは夢にも思っていませんでした。


                ★  ☆  ★
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2010/08/28

フエ


王さまの廟です。1945まで王さまがいてフランスに亡命しました。
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2010/08/25

いずこへ

この〓に乗ります。
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