2011/03/31

大使館へ

ニット展 1

日常の生活では全く縁のないスウェーデン大使館に行って来ました。
節電のため、横須賀線は間引き、便利な湘南新宿ラインは運休ということで
外出は控えていましたが 今日までの展示と思い エイ!と。
出先で余震にあっても 右も左もわからないところは不安ですが
大使館の中なら避難場所としては最適?
何しに行ったのかというと、、、、、、この展示を見に。

数年前にもこちらでニットの展示があり、友人からその時のCDを頂いたことがあり
今度チャンスがあったら是非行きたいと思っていました。

ニット展2

どれも細い毛糸でかっちりと手の込んだ手編の模様です。
編みこみのサンプラーや、図案も展示され
さすが、寒い国のニットは素晴らしい!
長い冬を暖かくすごすために 裏地の付いているものも。

4月21日まで。
今日までの予定でしたが 準備中に地震が起きて準備が遅れたので 延長したのだとか。

帰りは神谷町駅近くのビストロにぶらっと入りましたが 
安いのに量が多くて美味しくて、、、、大当たりでした。
私と友人が食事を終えた頃には外には待っている人が何人も。
人気の店だったようです。
針の合間に・・・ | Comments(4)
2011/03/29

想定外

コンフォート・キルト 3-1

国内の建築物では 「関東大震災級の地震にも耐えられる」というのが
頑丈の代名詞のようでした。  
今までは・・・・・。
今回 何かにつけて聞かれるのが 「想定外」。
想定外なら 何でも諦めなければいけないのでしょうか。

コンフォート・キルトの企画を友人からのメールで知った日に
計画停電で薄暗くなる中、急いで一枚のブロックを作りました。
通電してから PCで作図を描き、数人に作図とブロックの画像を送り
一緒に作りませんか?と。
数人の方が応じてくれて 数日の内に一番乗りのブロックが送られてきました。

ワクワクしながら 封を開けて 「あっ、やっぱり!」
作図には強いて 濃色の三角の位置を指定しませんでしたので
きっとちがって作る人がいるのではないかと思っていたのです。
今まで何枚も 今回と同じようにブロックを持ち寄ってキルトを作ったことがありますが
必ず 見本とちがう人がいるのです。
これは 「想定内」

自分の分として数枚作ってあったものと並べてみました。
これはこれで行けるので 他の人達の様子を見て 決めることにしました。

数日して 他の人達の分も届き、枚数が揃いました。
その前日、一人の方から電話で 「大きさが~~~」
このブロックは多少サイズがちがっても 中央の十字を縫い直せば補正が出来ます。
そして、、今までも必ずサイズが大きい人、小さい人がいました。
これも 「想定内」

と、と、ところが、、、、
裏を見てびっくり!
縫い代が少なすぎるのです。
ほぼ5mm、少ないところは、2,3mmしかありません。
特に三角のところ、布目がバイヤスのところが、2,3mmではそのうちほつれそうです。
ミシンで細かく縫っても 何度か洗濯したら・・・・・。
そこで布を差し替えるかもしれないとご了解を得て、縫いなおしました。
でも、出来るだけその方の作ってくれたものを生かしたいし。
これは 「想定外」です。

コンフォート・キルト 3-2

あまり洗濯をしないタペストリーや自分用のものならほつれても直せますが
今回はキルトを知らない人たちへの実用品、洗濯に耐えないといけません。
キルティングも斜めのところは ブランケットステッチにして頑丈にしました。
他の部分も不安があったので 全体にフリーモーションでキルティングです。

裏には 元気が出るような黄色のロディオのプリントにしました。
近所のセールで2mで な、な、なんと ¥200! 
これこそ 想定外

協力してくださった皆さま、ありがとうございました。
今まで作ったものを纏めて明日送る積りです。

* 教訓 * 縫い代は7mmは確保しましょう!!
ショー&テル (タペストリー) | Comments(8)
2011/03/27

1-E

ろうそく


節電、節石油製品で厚手の靴下を重ね履き、ウールのひざ掛けを腰の周りに巻きつけ
背中にはカイロを貼り、日当たりの良い処にイスを移動して 手仕事の毎日。
でも、、、、、夜の停電にはどうするすべもありません。

一度目の停電のときは そうとも知らずに帰宅した娘とろうそくを中におしゃべり。
鏡で反射させると明るさも増すかもしれないと試してみたり。
二度目のとき 娘は「時間を潰して帰る」と逃亡。
仕方なく、石油ストーブで暖を取りながら時の過ぎるのをひたすら待つのみ。
暗闇の中でろうそくの炎を3時間も見つめていれば
隠れていた霊能力も現れるのではないか?と試してみたものの・・・・
元々、隠れてもいなかったらしい。
これからは 「霊能者」として生きる道もあるかと思ったのだけれど。

世間では停電のある地域とない地域があり「不公平だ!」と言う声、
「商売が立ち行かない」という悲痛な声。
大きな声では言えないけれど 『世の中、押しなべて不公平さ!』
人間社会は努力だけではいかんともしがたいことは山のようにある。
運のいい人、悪い人、親のお金でいい暮らしをする人、いくら働いてもじっと手を見る人。
真面目に誠実に生きたのに 家族も家も一瞬で失った人。
それをTVで見て涙しても 今までと変らない平和な生活を送れる人、、、、。

近所のスーパーは通常は午後11時まで営業していたのが
この頃では臨時休業したり 2時間だけの営業だったり。
冷蔵庫の生鮮食品も傷んでしまうでしょうし、パートさんだって給料激減。
生産工場も操業できなくて死活問題に。

社会と関わりのある仕事などしていない私にもささやかながら影響も。
キルト教室でお借りしている横須賀市の施設が「当面閉鎖」。
ありゃりゃ!  当面っていつまで~~~~?

来週からグループ分けが細分化され、私の地域は「1のE」。
いくら細分化されても 不公平と感じる人は感じるのでしょう。
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ショー&テル (タペストリー) | Comments(0)
2011/03/23

大きなポケット

コンフォート・キルト 1

震災直後、ユニク□では40万枚のヒ~トテックと14億円の義援金を提供したそうですが
そのうちの 10億円は Y社長のポケットマネーだとか。
元ニュースキャスターのKさんも一億円をぽ~~んと。
「大きなポケットをお持ちなのねぇ~~」
しがない一般ピープルの私のポケットは
逆さにしても裏返してもチャリンとも言わず、出てくるのは綿クズのみ。

38歳で子宮頸がんになられた方は お嬢さんもお母様似の美人と判ったし、
脳梗塞もサッカーと同じでスピードが大事と言うこともこの数日で学びました。

「私に出来ること・・・・・」
節電もしているし、買いだめもしない、外出も出来るだけ控えているけど
もう1つ出来ることがありました。

P通信社の『コンフォート・キルト』の企画に 
簡単なブロックを作り ネット友の数人に呼びかけを。
すぐ、数人の方が共感しブロックを作ってくれることになりました。

届くまでの間に 私も一枚くらい作れるかも?とまたまたストックのブロックの出番。
↓でポーチを作ったときにも 「う~~ん、これは使い道もないし ゴミ箱かな~~」
ミニタペにするか クッションにするしかない 35cm~40cmのブロックが数枚。
この際、一枚でも多く、一日でも早く届いて欲しい、寒さを凌いで欲しいと
それらを活用です。

小さなものは廻りに布を足して 大きさを揃え、
手持ちの布でラティスを作って
ちょうど 木綿のキルト綿も20m買ったばかりだったので すぐキルティング。
勿論ミシンで、簡単なダイアモンドです。

コンフォート・キルト 2


ロフトに積んだ沢山のキルトの中から サイズの合いそうな物を探してみました。
古くても 殆どがタペストリーとして作り、使ってはいません。
八角形だったり、すこし小さかったり、大きすぎたり、暗い色合いだったりで
なかなか ぴったりの物がない中 数枚下ろしてきました。
小さな物は少し大きく、八角形の物は四角く 少し手直しが必要ですが
役に立てれば キルトも嬉しいでしょう。



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2011/03/19

ハンドもあるさ

ポーチ1

計画停電をするというので ミシンを掃除して片付けてしまいました。
揺れたときに飛んできても怖いですから。

初めの1,2日目は回避されましたが 3日目は日中の3時間、4日目は日中と夜で6時間。
5日目も昼と夜の2回の予定でしたが 結局は昼間だけの3時間。
昼間は明るい窓辺で針仕事・・・・・さて何をしようかしら?

教室のサンプルの試作で作ったパターンや 
ベッドカバーを作り始めてやめたパターンを出して、、、
それらを利用して 大きさをあわせて、、、、作りました。
久し振りのハンドでの小物のキルティングは やはり肩が懲ります。
ファスナー付けや仕立ても返し縫いをしたのですが 
気に入らず 結局ミシンを出して仕立てました。

ポーチ2



針刺し

横浜や大阪でのキルトウィークを主催しているパッチワーク通信社では
今回の被災者の方々に送る「コンフォート・キルト」の提案をしています。
手持ちのキルト、あるいは毛布などを送ろうというものです。
参加しようと思われる方は 今から作り始めてはいかがでしょうか。 
私も作ってみようと思っています。
ショー&テル(小物) | Comments(2)
2011/03/16

プチ・・・・・

金曜日の地震から原発の事故につながり 混乱が増しています。
東電が計画停電をするというからか、千葉の石油備蓄倉庫が被災したからか
スタンドは開店前から長蛇の列、スーパーは駐車場に入れない車の列、
混雑した店内、空っぽの棚、、、が余計に不安感を振りまいています。
こういう現象を 「プチ・パニック」というのだそうです。

「プチ」といえば プチ・贅沢とか プチ・お洒落とか 
緩衝材のプチプチくらいしか浮かばなかったけど
こんな言葉もあったのねぇ。

子供の頃は時々停電していた記憶があります。
今では あの当時には考えられないくらい電気に依存した生活。
でも、ちょっと待って。
私たちは電気がなかったら 本当に生活できないのかしら?

明治生まれの母は関東大震災を青山で、空襲は横浜で経験しました。
私が子供を生んだ頃、お風呂の水はいつもためて置くように、
おんぶ紐はすぐ手の届くところにおいておくようにと煩く言われました。
「子供は背中に括れば はぐれることはないし両手が空く。
さっとおんぶが出来るように日頃から練習しておきなさい」と。

そんな母のお陰か、我が家の浴槽にはいつも水が入っているし、
IHの卓上コンロもあるけれど ガスコンロとボンベもある。
石油ストーブもファンヒーターではなく 旧式の上で煮物が出来るタイプに。

お米は半月分位はあるし、お正月に買ったパックのお餅も残っている、 
インスタントラーメンも、乾麺も、パスタもある、缶詰も・・・・・
どこの家にもその位はあるのではないでしょうか。
今、スーパーやパンやさんで先を争うように買い込んでいる人達は
被災地の家族に送るためだと思いたい。

スタンドに並んでいる人たちは 往診をする医師や訪問看護婦、緊急車だと思いたい。

「計画停電」の通告が遅い、通告どうりではないとマスコミはいうけれど
地震の時は通告なしにブチっと切れたのだから 事前にわかるだけでもよしとしよう。
一日にたった数時間。
通電しているときに ご飯は三日分炊いておいた。 調理もしておいた。
冷たくてもいい、 被災地のことを思えば食べられるだけでもまし。
家で暮らし、暖かい布団で寝られるのだもの。

JRの人も、東電の人もきっと不眠不休で働いているのだと思います。
政治家が「命を懸けて」なんていう言葉の軽さに比べたら 彼らは実践していると思う。
電車が間引き運転で混雑なら 働く人達も交代で職場に泊まるというのはどうだろうか?

枝野さんも 情報の信憑性はとも角として 話し方は誠実そうで説得力がある。
ところで、あの岩手が選挙区の 「一兵卒クン」は今頃どうしているのかしら?と
ふと思ってしまいました。

針の合間に・・・ | Comments(12)
2011/03/12

大津波

東北地方では大きな地震と津波で大変なことになっています。
皆さんは大丈夫でしょうか。

私は散歩から戻って遅いお昼をとり、お茶を飲んでいたときでした。
あれ?地震?
いつもの程度なら驚きもしませんが 今回はちょっと長い・・・・
テーブルの下に潜ったと同時につけていたTVが消え、停電。
これはまずいかも? と庭への掃きだし窓を開け、スニーカーを持ってきました。

揺れが収まった時に 避難用のデイバッグからラジオ付き懐中電灯と電池を用意。
そう、そう、暗くなったらろうそく!  あら? 我が家にろうそくはないわ!
思い出したのが10年前にスペインで買ってきたろうそく。
暗くなってからこのろうそくをつけようとしたら 
芯に付いた火は蚊取り線香のようで 頼りない。  この役立たずが!

勤め先の長女からメールで「大津波警報が出た」と知らせてきたと同じ頃から
異様なサイレンが鳴り響く。
我が家の避難場所に指定されている小学校は海に近いし、我が家より低い。
こうなったら 家に居てロフトに上れば海抜10mにはなるだろうと腹を括る。
次女が 「避難するときはブレーカーを落とせ」とメールしてきたので
「まっくらだし、手が届かないので無理、今の処避難しない」と返事。

娘達は田町と浜松町の職場に泊まるというので 心配はいらなくなったし
寒いので 2階のベッドの中にいたら そのうちに寝てしまったらしい。
電話のベルで目が覚めたのが10時半。
電気も復旧していて電話も通じるように。
電話をしてきたのは 子供の頃から『揺れた!』と思ったときには
外に飛び出している姉2から。

そう、停電すると電話も通じないし、電気ポットもお湯が出ない、冷蔵庫は真っ暗で
床暖も消える。  トイレの便座も冷たかった。
とりあえず、ラジオで情報は得られたが 
近い将来あると言われている東京直下型だったらと思うとぞっと。

今朝9時ごろ、長女は「東海道線は開通したので帰る」と 品川駅からメールが来たきり。
そのうち次女から「品川で姉を捕縛した。 開通したというのは旧国鉄のプロパガンダだ! 
騙されてはいけない。 時間を潰して帰る」と。 

避難用バッグにははっきり言って大して役に立ちそうなものは入っていなかった。
電池は古くて液漏れしているのもあったし、銀行口座や保険証の覚えも古いものだった。
食料や水は皆無だし、今回を教訓にして中身をしっかり見直そうと心に決めた。
そう、そう、なくしたと思っていたスイスのアーミーナイフを発見した。

そういえば、阪神大震災の時の首相は村山さんだったし、、、いえ、偶然でしょう。
昨日、都の知事が記者会見で ミッドウェーからアリューシャン列島にかけての
海底火山の薀蓄を延々と披露していた。
ニッポン放送のアナウンサーが声を重ねて、「そんな事を言っている場合じゃない」と。
今回は知事さん、選挙危ないかも。
針の合間に・・・ | Comments(8)
2011/03/10

花粉にめげず・・・・・

丸の内1

このドーム屋根だけを見ていると どこの国かと思いますね。
でも横にはカタカナの看板がアールし・・・・。
東京駅を開業当時の姿にしようという改装工事も大分進み、
屋根のシートが外されています。
これでは地球外生物のヘルメットか モンゴル相撲の帽子のようで
私としては今まで見慣れた屋根の方が好みですが。

ブログや個展をするようになって キルト繋がりの知人が増えました。
どこかの組織に入っていないと (けっして『組』ではありませんよ、念のため)
なかなか同じ興味を共有できる、話が盛り上がる友人は見つけ難いので
とても嬉しいことです。

先週はそんなお一人から 「鈴木洋子さんのアートキルトの案内を見たけど」と電話が。
存じ上げないお名前だけれど 『アートキルト』とあれば興味津々。
文京シビックホールという後楽園の裏の区役所に行って見ました。
すごいですねぇ~~~、流石ですねぇ~~~~。
23区の区役所はどこもこんな立派なのでしょうか?
25階には展望レストランがあり、椿山荘が出店していました。
ア、アートキルトの展示ですが
私たちのイメージするキルトとは違い、大部分が刺繍やアップリケで
周りの額に代わるものとして 綿を挟んでキルティングがされているというものでした。
でも、その図案は自由で伸びやかで このままで中央部分もキルティングを・・と
考えてしまいました。

今週はもう一人の方から こちらの券をいただき、ちょうど時間が空いたので早速行ってみました。
新聞の案内を見たとき 行ってみたいと思ったのでちょうどいいタイミングでした。
F子さん ありがとうございました。

丸の内 2
 「クラフト」というだけに出品作品は
 木工、漆、ガラス、彫金、染め、織り・・・
 写真は×となっていましたが 
 ところどころには白手袋が置いてあります。
 
 この作品は紙のつづり紐と木綿糸で織った
 パーテーションで 作者は学生さんだとか。
 安い材料で考えたとコメントがありましたが
 着想の柔軟さに感心しました。

 丸ビルホール (7F)  13日まで



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2011/03/07

やぁ~~~めた

WS 1

のどかな雰囲気が漂う風景ですね。
花粉も飛んでいないようだし・・・・。  
これはシンシア・イングランドさんという方のワークショップを受けたときの部分です。
この方はヒューストンでこの手法の作品で以前グランプリを取られた方で
7~8年前にワークショップを受け、当時少し作ってあとはそのままでした。
手法が判ったらあとはこまごまとしたピースをひたすら繋ぐだけで。

うっかりと引き出しを開けたら いくつかWSの作りかけが出てきました。
トップが出来上がっていて キルティングすれば出来上がる物もあり、
今回も仕上げてしまおうと思いましたが いくら見つめても色が好みでなくて
作る気にならない・・・・・。
そこで 次に生地が沢山残っていて嵩張るので片付けようと思ったのが これです。

WS2

そして、、、、こんなにしちゃいました。
1/4くらいの大きさでしょうか、あとはキルティングするだけ。
シンシアさん、ごめんなさい。

WS3
56 x 36cm


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2011/03/02

氷川丸  (2/26)

氷川丸1

山下公園、氷川丸といえば・・・・・・横浜の古典的デートコースです。
子供の頃や若い頃はしばしば、、、思い出が色々とあるところです。
パスポートの更新は向かい側の産業貿易センターですが
この頃では川崎の方が便利なので そちらに行くようになり 久し振りです。

かつての日本郵船横浜支店がいまでは 「日本郵船歴史博物館」となっていて
岩崎弥太郎さんから始まった日本の海運業の歴史が判りやすく展示されています。
太平洋戦争以前の花形だった豪華客船の大きな模型があり、 ワクワク♪ 
シアトル航路やサンフランシスコ航路の華やかな雰囲気が
ディナーのテーブルを見ても十分偲ばれます。

日本の海運業を引っ張っていたこの会社も戦時中は殆どの船舶が徴用され
改造して戦艦や兵隊、物資の輸送船として南方に。
殆どの船が撃沈されたそうです。
戦後再開された太平洋航路でサンフランシスコに向かったのが氷川丸。
戦時中、在米邦人の引き上げ船、病院船として働いた氷川丸は運よく残っていたのです。

氷川丸2


県警本部、横浜税関、県庁と大桟橋に向かって歩くと シルクセンターの角にはこの店!
学生の頃、市電の窓から 赤と白の日除けを眺めては
”大人になったら来たい”と夢見ていた店です。
今でも 二階のレストランは自腹では無理なところですが
一階はリーズナブルなランチがあります。
実は バブルの頃、念願かなってとある記念日に二階に来ました。
ワクワク・・・・興奮しすぎたのでしょうか?
オードブルを終わらないうちに気分が悪くなり、一階にあるトイレに籠って。
残念ながらその後のお料理をキャンセルして リタイア~~~ッ!
いつか、いつか リベンジしたいわ~~。

スカンディア・ガーデン

上からデニッシュ・オープンサンド、ノルウェーの家庭料理、スカンディア・サンドです。

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